討論Bar“シチズン”マスターの西岡が、政治、司法、時事等に関する辛口コメントを書き綴ります
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26日午前、衆議院本会議前に行われた特別委員会の生中継を「衆議院TV」で視聴した。
その中で気になったのは、野田首相の「(財政危機は)待ったなし」のひとこと。
「待ったなし」なら、なぜ2年後の消費税増税なんだ? 即時増税しなきゃ間に合わないんじゃないのか?…というのが素朴な疑問として湧いてきた。
さらに聞いていくと「不景気の時には増税しません」…と来た。
おいおい、「待ったなし」じゃなかったのかい? と突っ込みたくなる。
他方では「社会保障拡充のために消費増税は必要」という論法も良く出てくるが、法案の中身はというと、社会保障拡充策の大幅な後退もしくは棚上げになっている。
何のために消費税を上げるのか?
日米安保条約時に次ぐ審議時間を費やしたというが、こういう肝心な部分の説明は「論点ずらし」に終始していて、国民には一切伝わってこないではないか。
どうやら「複合的、総合的に検討して消費税を増税すべきと判断した」って言いたいらしいのだが…。
こういう玉虫色の表現を使う時は、たいていの場合「本当の理由」を隠す意図があると見て間違いないだろう。
ならば「本当の理由」はどこにあるのか?
大胆な私論を言うとそれは「霞ヶ関省益の防衛と拡大」だろうと思う。
霞ヶ関からみた時、少子高齢化社会で社会福祉予算の増大は避けられない「損害」である。
さらにそれは、予算実績からの定率削減ぐらいでは追いつかない規模であり、永年「アンタッチャブル」であった特別会計予算や特別行政法人への補助金まで、メスを入れられる可能性が高いのだ。
しかし消費増税が決まれば、一時的に一般会計の想定財源が増えるため、虎の子のヘソクリに目をつけられる心配がなくなる…というわけだ。
中央官庁が持つ権力の源泉は、予算執行の裁量権にある。
国債の利払いや、社会福祉予算などは比較的裁量の幅が狭い「義務的支出」であり、義務的支出の割合が増えるほどに裁量的支出の割合が減り、それに伴って中央官庁の権力は弱められる。
前回の総選挙時、民主党が主張した「政治主導」とは、官僚の裁量権を減らし、政治家の判断で予算の作成から執行までを統制する、壮大なプランだった。
既得権益の権化たる中央官庁の高級官僚たちにとっては、絶対に受け入れられない構想だったとも言える。
歳入庁と国家戦略室の新設は、この構想の根幹であり、財務省が持つ権力を根こそぎ奪い取る、まさに革命的な構造改革案だった。
中央官庁とそれに連なる財界、マスコミなど「既得権益互助組合」は宗主国米国の指令と助言を受け、禁断の検察権力、司法権力までも動員して、この革命的改革に抵抗し、遂には粉砕に成功したのである。
消費増税は、その仕上げの戦略であり、苦労して勝ち取ったせっかくの勝利を、財政危機問題で水泡に帰させないための後詰めなのだ。
そう考えれば、野田首相が「待ったなし」と言った意味が理解できる。
庶民にとっては「殺しの増税」だが、既得権益層にとっては「今しか出来ない『千載一遇』のチャンス」なのだ。
総選挙で国民に信を問えば確実に潰される法案であるがゆえ、選挙前に談合で決めてしまうしかなかったである。
だが、中・長期的に見ればこのトリックは単なる「時間稼ぎ」にすぎない。
小沢氏を中心とする「抵抗勢力」は、採決で存在感を示し国民の支持を受けている。
あの「小沢悪魔化宣伝」の推進力となった主要マスコミも、今は歯切れが悪く、すぐばれる矛盾を内包した記事しか書けなくなってきた。
「(離党は)政局に展望が持てない」と揶揄するサンケイが、同じ口で「(造反離党は)政局しか頭にない者の行動」と批判する。
政局的に展望の開けない戦略に打って出る動機は、政治的信念にある…と言う当然の帰結を無理矢理にねじ曲げて、不自然かつ矛盾満載の論説を、恥ずかしげもなく金をとって売っている売文屋の醜態は、ここに極まったと言える。
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