つい3年前の9月、民主党は衆院で単独過半数を獲得し、社民&国新との連立政権で2/3の絶対安定多数を形成した。
「政治は数」「安定政権でなければ思い切った改革はできない」というのが、小沢一郎氏をはじめ、多くの政治家、政治評論家の持論だが、09年当時、参院でも連立内閣で過半数を持っていたはずの与党がその後3年弱で、何も成果を示せてはいない。
極論に見えるかも知れないが、これは「安定政権」神話の崩壊を証明するものと言えるのではなかろうか?
と同時に、「政党政治」そのものの終焉を表わしていると、私は受け止める。
今、新聞やネット上では「小沢新党」を巡る議論が賑やかである。
消費増税案の採決があった場合、重要政策で「節」を曲げることは政治生命を終わらせることになるので、除名〜新党結成を覚悟で反対票を投ずるべき…という意見(新党歓迎派)がある一方、
分裂しても多数派を形成する見通しが立たないし、野党を利するだけだから、党に残る算段をした方が良いという意見(分裂回避派)もある。
どちらにも一理あるが、分裂回避派の意見は、先に述べた「安定政権」神話が健全だった時代の正論だろう。
一方、新党歓迎派の意見も「増税反対で多数派形成が可能」という、願望的予想の上に成り立つものだと思う。
もともと「政党」とは、基本的な理念と政策を共有する集団であることが大前提だが、今の与党も野党第一党も、そもそもの成り立ちが「寄り合い世帯」である。
権力の蜜に群がる有象無象を、利権とポストで釣り多数派を作って支配する「ボス猿」型政治が、本来の「政党政治」という仮面を被っていただけのことであり、もともと日本に「政党政治」は無かったのかも知れない。
とすればこの際、「政党政治」の本来在るべき姿に戻ることを目指すより、新しい立法府のシステムを考える方が現実的であると思う。
行政、司法、マスコミは組織として制度疲労を起こして硬直化していると、私は以前から言い続けてきたが、それを糾すべき国権の最高機関=国会のシステムもまた、旧態依然であることが、今の閉塞を救いの無いものにしているのではなかろうか?
「政党」が選挙に臨んで自ら掲げた理念を、いとも簡単に放棄して真逆の「党議」を詐称する。
与野党談合の数合わせで「多数派」を形成して、マニュフェスト違反の法案を強行可決する。
これではもはや「政党政治」は成り立たない。
私たち国民は、選挙で「政党選択」をするのだと刷り込まれているが、政党が政党たる要件を満たしていない以上、「政党選択」は絵に描いた餅でしかない。
いっそのこと、全政党の解体こそが突破口なのではないか…と過激に思う今日このごろだ。
[27回]
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