討論Bar“シチズン”マスターの西岡が、政治、司法、時事等に関する辛口コメントを書き綴ります
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27日、最高検察庁は陸山会事件で虚偽の捜査報告書を作成した、当時の東京地検特捜部検事らについて「不起訴処分」とする発表を行った。
5月中と言っていた発表がほぼ1ヶ月遅れた形になったが、これは笠間検事総長の勇退時期に合わせた結果だろう。
やはり予想どおり総長は6月一杯で勇退し、後任には高検検事長の小津博司氏が着任するようだ。
敵は着々と地歩を固めている。
検察庁内の抗争は、ひとまず既得権益側が勝利を収めたと見ていいだろう。
だが私たちは元々、検察の自浄能力になどに期待はしていない。
法を無視して誰からも咎められない特権階級に対し、法的手段を用いて戦ったところで勝ち目は無いのだ。
刑事告発は、彼ら既得権益グループに「法を守る意思」の無いことを、広く世間に対して知らしめるための手段に過ぎない。
不起訴の一報を聞いて、私が最初に考えたのは最高検幹部全員を「犯人隠避罪」で刑事告発することだ。
無法検察組織が無理を押し通すたびに罪状が増えていく様子を、しっかりと全国民の目に見えるよう曝け出す必要がある。
そう思っていたら、さっそく「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が告発状のひな形を作ってくれた。
同じことを考える人々が数多く居たことに感謝だ。
一も二もなく便乗させてもらう。
さて、「市民の会」が、どういう意図で告発するのかは知らないが、私の目的は虚偽有印公文書を作成した検事一人に刑事罰を課すことなどではない。
さらに東京地検特捜部を解体したり、取調べを可視化したり、検察組織の綱紀粛正を望むものでもない。
私の目標は、現在の法務検察組織全体の壊滅であり、裁判所を含む霞ヶ関権益機構の徹底的な破壊である。
その手段は唯一「政治」を変えることにある。
「政治」を変えるためには、国民の覚醒が必要だ。
あらゆる機会をとらえて、敵の悪虐を可能な限り広く伝播せしめることが重要になってくる。
幸いにも、現在の私たちには「ネットメディア」という強力な武器があるし、従来型の講演会、集会、デモ、チラシ、街頭演説なども効果的である。
「権力の暴走」は、国民の決起なくして阻止することなど不可能なのだ。
原発事故への政府対応、安全性確認をなおざりにした原発再稼働の決定、民意にもマニュフェストにも背く消費増税の強行…どれひとつとっても、外国なら大暴動が起こって不思議ではない、権力の大暴走である。
西松建設事件、陸山会事件、小沢氏検審裁判は、これら権力の暴走にストップをかけようとする政治勢力への弾圧であり、私たち国民に対する不敵な宣戦布告でもある。
売られた喧嘩を買わないのでは男(女?)が廃る。
これはもはや「運動」ではなく「闘争」なのだ。
砦の上に我らが世界を、勇ましく築き固めようではないか!
26日午前、衆議院本会議前に行われた特別委員会の生中継を「衆議院TV」で視聴した。
その中で気になったのは、野田首相の「(財政危機は)待ったなし」のひとこと。
「待ったなし」なら、なぜ2年後の消費税増税なんだ? 即時増税しなきゃ間に合わないんじゃないのか?…というのが素朴な疑問として湧いてきた。
さらに聞いていくと「不景気の時には増税しません」…と来た。
おいおい、「待ったなし」じゃなかったのかい? と突っ込みたくなる。
他方では「社会保障拡充のために消費増税は必要」という論法も良く出てくるが、法案の中身はというと、社会保障拡充策の大幅な後退もしくは棚上げになっている。
何のために消費税を上げるのか?
日米安保条約時に次ぐ審議時間を費やしたというが、こういう肝心な部分の説明は「論点ずらし」に終始していて、国民には一切伝わってこないではないか。
どうやら「複合的、総合的に検討して消費税を増税すべきと判断した」って言いたいらしいのだが…。
こういう玉虫色の表現を使う時は、たいていの場合「本当の理由」を隠す意図があると見て間違いないだろう。
ならば「本当の理由」はどこにあるのか?
大胆な私論を言うとそれは「霞ヶ関省益の防衛と拡大」だろうと思う。
霞ヶ関からみた時、少子高齢化社会で社会福祉予算の増大は避けられない「損害」である。
さらにそれは、予算実績からの定率削減ぐらいでは追いつかない規模であり、永年「アンタッチャブル」であった特別会計予算や特別行政法人への補助金まで、メスを入れられる可能性が高いのだ。
しかし消費増税が決まれば、一時的に一般会計の想定財源が増えるため、虎の子のヘソクリに目をつけられる心配がなくなる…というわけだ。
中央官庁が持つ権力の源泉は、予算執行の裁量権にある。
国債の利払いや、社会福祉予算などは比較的裁量の幅が狭い「義務的支出」であり、義務的支出の割合が増えるほどに裁量的支出の割合が減り、それに伴って中央官庁の権力は弱められる。
前回の総選挙時、民主党が主張した「政治主導」とは、官僚の裁量権を減らし、政治家の判断で予算の作成から執行までを統制する、壮大なプランだった。
既得権益の権化たる中央官庁の高級官僚たちにとっては、絶対に受け入れられない構想だったとも言える。
歳入庁と国家戦略室の新設は、この構想の根幹であり、財務省が持つ権力を根こそぎ奪い取る、まさに革命的な構造改革案だった。
中央官庁とそれに連なる財界、マスコミなど「既得権益互助組合」は宗主国米国の指令と助言を受け、禁断の検察権力、司法権力までも動員して、この革命的改革に抵抗し、遂には粉砕に成功したのである。
消費増税は、その仕上げの戦略であり、苦労して勝ち取ったせっかくの勝利を、財政危機問題で水泡に帰させないための後詰めなのだ。
そう考えれば、野田首相が「待ったなし」と言った意味が理解できる。
庶民にとっては「殺しの増税」だが、既得権益層にとっては「今しか出来ない『千載一遇』のチャンス」なのだ。
総選挙で国民に信を問えば確実に潰される法案であるがゆえ、選挙前に談合で決めてしまうしかなかったである。
だが、中・長期的に見ればこのトリックは単なる「時間稼ぎ」にすぎない。
小沢氏を中心とする「抵抗勢力」は、採決で存在感を示し国民の支持を受けている。
あの「小沢悪魔化宣伝」の推進力となった主要マスコミも、今は歯切れが悪く、すぐばれる矛盾を内包した記事しか書けなくなってきた。
「(離党は)政局に展望が持てない」と揶揄するサンケイが、同じ口で「(造反離党は)政局しか頭にない者の行動」と批判する。
政局的に展望の開けない戦略に打って出る動機は、政治的信念にある…と言う当然の帰結を無理矢理にねじ曲げて、不自然かつ矛盾満載の論説を、恥ずかしげもなく金をとって売っている売文屋の醜態は、ここに極まったと言える。
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